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About.

TV出演 LIVE依頼は下記までお願いします。

G.Encounter プロデューサー M.サリー

〒105-0001 東京都港区虎ノ門1−16−16​ 虎ノ門1丁目MGビルB2 4DS内

090-3721-4469   m.sarry39@gmail.com

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坂田佳子

G.Encounter所属シンガー&タレント
関西を中心にジャズシンガーとして、ジャズライブハウス、高級クラブ、高級ホテル、イベント、パーティーなどの現場で幅広く活動。
2008年より2年間、大阪なんばスイスホテルのスカイラウンジTavolaの専属歌手を務める。
2016年ジャズピアニスト柴田コウメイ氏とSpoonful Musicからファーストアルバム「ひざまくら」をリリース。(Spoonful Music、Amazon、全国のCDショップ、通販サイト等で購入可能)ジャズ雑誌JAZZ JAPANvol71にCD『ひざまくら』レビューと柴田コウメイ氏と坂田佳子のインタビューが掲載される。
2016年より1年間、ラジオ局kissFM KOBEのジャズ番組「JAZZ GROOVE⭕⭕な話」毎週土曜日21:30~にジャズシンガーとしてパーソナリティを務める。
2017年10月~サンテレビ「生カラ」毎週日曜日23:00~放送のゲストシンガーとして、審査員、PRCM、ゲストライブで出演。
現在関西発インターネットラジオradio balloonにて毎週(木)21:00~22:00放送『坂田佳子とJAZZるnight』で自身の番組でパーソナリティを勤める。
レパートリーはジャズにこだわらず昭和歌謡、ロック、ラテン、シャンソン、ポップスなどジャンルを問わず、近年は、ジャズミュージシャン以外にもロック界のギタリスト&キーボードex虎舞竜の本間敏之氏など、各ジャンルのアーティストととも共演。
関西を拠点として全国のライブハウスでライブを展開中。

幼少期から感受性が強く 小学生低学年くらいから「人はなぜ生まれてきて、なぜ死ぬんだろうか」と毎晩考え込んでは泣いているような子供でございました。

 衣食住、身の回りのものは全て手作りする母親が作ったものを目にする度、母が死んでしまったら、この残されたものはどうなるの?と胸苦しく、母がこの世から居なくなっても想い出だけが残るとゆう事実に耐えられず、作ってもらった服や鞄などを捨てるような子供でございました。とくに夜が怖くて朝まで起きている子供でございました。

共に芸術性を世間から評価されるようになり、描いた絵に色彩感覚を評価され、NHK全国コンクールで優勝。TVで表彰されました。その時頂いたランプは未だにアタシを照らしてくれてます

そして

小学生高学年から非行が始まり、学校では手に終えないくらい暴れる毎日。 その時の担任の教師は未だ私の事を心配して下さっているらしいです。

嗚呼……かたじけございません。
好きになった人に絵付きで「あぁ……私を抱いてください」とゆうお手紙書いてあちらのお母様に見られ、うちの母が「ちょっとあなたのとこのお子さん普通じゃないですよ!」と注意うけておりました。

中学に入った頃には毎晩深夜、家の窓から裸足で抜け出し、当時付き合っていた年上の彼の家で明るくなるまで過ごすようになりました。父に見つかった時に、追いかけ回され、はじめてほっぺたを叩かれました。 家の2階の屋根の瓦の上を逃げ回った記憶がございます。

正に猿でした。

 「坂田」と言ったら知らない人はいないくらい父は市内でも有名でしたので「うちには娘は居ない!」と外で言われておりました。 母は習字とお琴の師範をしており毎日着物を着ているような上品な淑女でございましたので「こんなお下品な子、誰から生まれてきたのかしら(涙)」と毎日言われておりました。

 

 高校に入ると目立つ!生意気!とゆう理由だけでしょっちゅう呼び出され集団暴行されたりしました。笑

高校ではラグビー部の美人マネージャーをしておりました。 ころころ彼氏を変えていた記憶がございます。 付き合うとすぐに気持ち悪くなってしまい振ってしまうとゆう歪んだ恋愛気質でした。 校内でもイケメンとされる男を何人も泣かせて参りました。

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高校卒業時は校内No.1の彼に収まり、卒業と同時に大阪京橋で同棲生活が始まりました。

 

 卒業と同時にすぐに水商売を始めました。 彼氏は私の言いなりでしたので何一つ反対する事はなく、いつも迎えに来てくれました。

 

そんな夜の生活にも全く違和感なく過ごしながら、街を歩いておりましたらモデルにスカウトされました。 すぐに契約。

社長に一番溺愛されていたため、身長が低いにも関わらずshowにも出させて頂きました。 CMやカラオケの画面モデルやTVにも少しづつ出して頂くようになりました。 やしきたかじんさんや、ダウンタウンや桂三枝さん達とお仕事させてもらった事もございました。

そして同棲していた彼の浮気が発覚!(こんな可愛いアタクシを!)

即別れました。

それからの私の男性遍歴と真っ黒な人生遍歴は更に凄まじく到底、公の場では披露できませんのでファンクラブ限定記事に少しづつ書かせていただきますね。

 

 それまでは音楽とはほぼ無縁だったのですが知人に初めてジャズの生演奏のお店に連れて行って頂き、生ピアノでドレス姿で歌っているキラキラしたその方に「アタシもこんな仕事がしたい!!」と

即「どうしたらできますか??」と質問の嵐。

「サラヴォーンとエラフィッツジェラルドとビリーホリデーっていうジャズシンガーのCD買って聴くといいよ」と。

「あとはジャズを教えてる先生にまずレッスン受けてみたら?」と。

次の日即行でCDを買いに行き音楽雑誌でジャズ教室を探し、即体験レッスンに行きました。

 

 そして、この方との出会いは私に歌うという素晴らしい人生を与えてもらえただけでなく、私のそれまでの真っ黒な人生を輝く人生へと変えるダイヤモンドのような宝石まで頂いたと今、感謝でいっぱいなのです。

真っ暗闇からの怒涛の脱却。

宿業に泣いてきた自分の魂との戦い。まさに闇から暁へ・・・

 

この方との出会いがなければもう私はすでに生きてはいないだろうと思います。

その内容はファンクラブ限定に書かせていただきますね。

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それから毎日CDが擦り切れるくらい聴きに聴きました。

 ワタクシは英語が全く話せないため、ただただ耳で覚えてッスンに通いました。

 

 おこがましいですが、レッスンの先生には初日から「坂田さんは凄い感受性とセンスと何処にもない声と美貌を持ってるから仕事も入るやろうし、いい歌うたうシンガーになるわ」と言って頂いておりました。

 

 とにかく先生のライブに通いまくりました。そこで色んなミュージシャンを紹介してもらい、気に入って頂き「まず15曲覚えてライブをしよう!」と言って頂き、まだレッスンに通って1ヶ月も経たないうちに初ライブをすることに。

 

 1週間で死物狂いで15曲覚えました。

 そしてトリオでの初ライブ。

エンディングという意味さえ分からないまま声を張り上げるだけのパンク歌手のようでございました。マスターにはお説教されるわ、打ち上げを終えてメンバーに車の中で3時間くらいお説教されるわで・・・それはそれは。。。。

 でも、それから毎月毎月、ありがたいことに、今の今まで仕事の依頼が途切れることなく、私の歌とステージングはレッスン場で鍛えられたものではなく、ただただ現場で鍛えられました。

 間もなくお話を頂いた北新地のクラブでのレギュラー。歌より容姿端麗が条件でした。それはそれはおじ様ミュージシャンからは可愛がって頂きました。

 

 しかし、まだまだエンディングって何ですか?って状態の歌でしたので、お客様からのクレームの嵐。ホステスさんからは意地悪されまくり、歌ってる最中にわざと水割りを顔面にかけられたりと、大分に鍛えていただきまた。感謝です。

 

 その後、JAZZクラブなんかのお話も頂き、関西を代表するJAZZハウスでのレギューラー頂きながら、難波スイスホテルスカイラウンジTavola39が、今までに無いパフォーマンスをしてくれる専属歌手を探しているという事で、私にオーディションのお話がきました。

 

 その頃の私のステージングはすでに、JAZZ歌手だとかの次元を超え、賛否両論の、歌いながらおじさまイジリでお膝に乗ったり、ただただ女を売りにしたステージングに定着しておりました。

そんな最中のスイスホテルでのオーディション。フランス人のGMからはすぐにOK頂き、即採用となりました。

初めての高級ホテルでのレギューラー。訳も分からないまま、演じ続けました。

時には日本人、外国人のお客様関係からの猛烈なアプローチ。

日本の場末の歌手は必然的に部屋に来て体を売るだろうという偏見。

そんな中でも、お金のない彼氏が彼女の為に誕生日にサプライズしにくる。

いつもおしゃれなんかほっぱらかしで、旦那や子供の為に汗水ながすお母さんへのサプライズしに来るご主人。

お世話になった両親に初めての給料で綺麗な夜景をバックに感謝の思いを届ける娘さん。

そんな景色を共有し、私の歌を通して彼や彼女たちの想いを大切な方にお届けできる幸せ。

アタシの今の歌の原点は、スイスホテルTavolaで培われたといっても過言ではございません。

もちろんこんな感動させてくれた歌手の方初めてです!とのお声と同様に同じくらいのクレームもございました。

ワイヤレスマイクを片手に、店内舞いまくり、映画さながらにお客様の膝の上で歌う。バーカウンターに寝そべって歌う。

クレームはフランス人のGMによってすべてかき消され、約2年間、専属歌手を勤めさせていただきました。

その頃はただ入るお仕事1つ1つに命懸けてステージ上で死んでもいいという信念だけでとにかくライブにしか興味がなく、ただただ現場主義で歌って参りました

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